浜の待宵草



マツヨイグサです。

しぼむと赤くなります。

よく「月見草」と言われますが、「月見草」はその名の通り夕方から咲いて翌朝にはしぼみます。色も白い花のようです。月を見て花を開け、夜明けとともにやがてしぼんで行く草とは何ともロマンティックなことです。

「月見草」で検索すると、この花の画像もたくさん出て来ますが、、、

同じ種属の花だと思います。

湖岸にはいろんな植物が生息しています。専門の人が調査していることがあります。

ここも国定公園です。

ルーはしあわせな子です。大阪にいる時も生駒国定公園で遊び、琵琶湖ではその周辺域と湖水との両方で遊んでいるのですから!!





ボール投げてや!



先日、釣りに出た時の水温はお昼に高くなって13.3℃でした。

今年は雪が多かったので、藻がはえるのも遅いと思います。

今日は、気温も上がりました。ただし、上空には寒気が入り込み、不安定な天気です。

水温も上がったのでしょう。ルーは自分から水に入って行きます。

帰りには、ルーは琵琶湖に入ったまま浜を歩く私と並行して歩いたり泳いだりしています。

水の中にいた方が体が浮いて軽くなるからでしょう。寒い時はしませんので、ルーが水に入ったまま歩くと琵琶湖の魚も動き始めます。

釣れるかもね!




奥琵琶湖へ



早朝からいつもと反対の方へ散歩しました。

東に向かって写真を撮っているため、幻想的なルーになりました。

静かな琵琶湖です。



正面が琵琶湖の突き当り



左手に少し見えるのが、マキノプリンスホテルのレストラン部分です。

琵琶湖を眺めながらの食事が楽しめるようになっています。

まだ朝食には早いので、ホテルに宿泊している人が浜を散歩されています。
二組の人にルーは愛想を振りに行きました。この子は得な性格です。みんなにかわいがられます。

いつものように、ゴロゴロ言っていました。

この突き当りの海津の緯度は、日本海の小浜の北に匹敵します。

気候が大津とは異なるわけです。福井県の嶺南のお天気に近いです。





やなの保護区域



知内川のやなについての注意看板です。

やなとは川に遡上する魚=アユを捕る仕掛けです。

琵琶湖のアユは、琵琶湖を海と見立てて流れ込む川に遡上します。

そのアユをやなという仕掛けで採捕します。全国の河川でやな漁は行われています。

アユは年魚です。生まれてから産卵して一年で死んで行きます。




知内川に架かる橋



この橋を渡れば、プリンスホテルからマキノサニービーチに行きます。

サニービーチの北が石積みのきれいな高木浜です。





河口で泳ぐルー



知内川の河口です。

ここは砂が流れ込み遠浅になっています。

400万年の歴史を持つ琵琶湖が長い年月をかけて動くというのは、わかるような気がします。

人間の一生はこれに比べれば点のようです。私がここらを歩き始めてからまだ10年。

それでも、波で毎年削り取られている浜があります。県は人口の土止めを繰り返していますが、確実に波は湖岸を削っています。

初めは、座ってよく休憩したコンクリート製のベンチはすでに足元が削られています。大きな段差が出来ています。

直接、琵琶湖にボートを出すように作られていた別荘は大きなえぐれのため、ボートは出せなくなっています。
それごころか、今後年月が経つと土地そのものが浸食されるのでは、、、。






迫力ある琵琶湖のヘラブナ



大荒れの湖岸にフナが打ち上げられていました。

全長は45cm以上あると思われます。体高が18cmぐらいありました。

さすがに琵琶湖です。スケールが違います。

フナには多くの種や亜種があって分類が難しいらしいです。

ただしそのなかにあって、琵琶湖と淀川水系に棲むゲンゴロウブナには独立した学名が付けられています。形態的にも独特の特徴を持っているからだそうです。

ヘラブナはこのゲンゴロウブナの飼育繁殖したものです。先日来アップしている養魚池で飼育されているものです。

ヘラブナは全国に広がり、多くのヘラ釣りの愛好者がいます。

ウキの微妙なあたりで、これぐらいのヘラが釣れたら!!と夢に見そうです。


今日の湖岸にはコイも打ち上げられていました。今年はまた「コイヘルペス」がはやるかもしれないと、滋賀県の水産課から連絡が書面でありました。コイの琵琶湖への持ち込みや持ち出しは禁止するとのことです。

何年か前に「コイヘルペス」が流行し、湖岸にもたくさんの鯉が上がりましたが、ボートで出ると水深2mぐらいのところは大きなコイの死体で一杯だったことを思い出します。

このフナもコイもこのあとすぐにカラスやトンビやサギが来て食べてしまいます。頭と骨だけになります。
打ち上げられて時間が経っていなかったのでしょう。




流れ込みの奥まで波が!



こちらにいる時は、ほぼ毎日湖岸を歩いています。

琵琶湖の風と波はもう何年もの付き合いになります。

今日のように大荒れで波が高い時でも、風は無風に近いことがあります。

湖岸には届いていないのかもしれませんが。反対にそこそこの風が吹いても波が立っていない日もあります。

今日は、雨が降って風はなしです。波は本格的です。

多分、初めて見られる人は驚かれると思います。もしボートで出ていていたら、と思うとこれまでに何度か経験があるだけに複雑な気持ちになります。

それにしても昨日はいい時に上がったものです。釣果はないは、荒れるはでは悲劇的ですもの。




朝もまだ荒れています



写真ではわかりませんが、雨が結構降っています。

ルーは雨でも散歩はいやがりません。

雨具に長靴の完全装備での散歩。山で雨にあったと思えばこれもいいかと2時間弱は歩きます。



久々の琵琶湖



海津大崎を正面から見ています。

右側の奥が大浦、左側が海津の集落です。

天気予報では当初は雨の予報でしたが、低気圧の動きが遅くなって夜からの雨に変わりました。

そのため、4~5時間いつものポイントをまわってみました。

例年、5月は釣り難い時期ですが、ここ2,3年は特に魚が見えなくなっています。魚探には、小魚のたくさんの群れを映し出します。二本松の水泳場の南で、めずらしく「追いさで漁」を4人の人でやっていました。

午後2時に上がって、夕方ルーといつもの浜に行くとびっくり。琵琶湖が大荒れです。釣り人がよく言う「ババ荒れ」と言う状態です。

タイミングよく上がってよかったです。久々に見る大波です。



近くの養魚池



あまり見かけなくなった養魚池です。

これは石垣を積んだ古い池ですが、この他にコンクリートの池が数個あります。

病気を出さず、少ないエサでいかに大きく育てるかがポイントになります。

見るための池ではなく、効率よく育てるための池です。

何年もは飼いません。万が一病気が発生すると、その池全部がダメになるためです。

回転をよくしてリスクをできるだけ抑えています。

ここの河内ブナ=ヘラブナは関東にもトラックで配送されているようです。





魚が確実に産卵する素材



先日アップした養魚池の産卵用の仕掛けにつけてある素材です。

これが水の中に浸かっています。

このモジャモジャのところに魚は卵を産み付けます。いわゆる、「乗っ込み」する場になります。

一般的に、魚は浅場で産卵します。川に遡上したサケなどの産卵も浅場です。ウナギは反対で、たいへん深いところで産卵するみたいです。最近、ウナギの産卵場がわかったとの報道がありました。

池の水を抜いて、浅場を作り、そこにこれをセットして産卵させ効率よく稚魚を取っています。

このモジャモジャが何なのかが、随分長い間わかりませんでした。

すでに用が済んで、干されていました。

たいへん変わった素材が使われています。昔からこれが一番いいのでしょう。

プラスチックではうまく行かないところがあるのでしょう。いまだにこんなものを使っているのは、おもしろいと感じます。




かわいい花



黄色い花はめだっていいですが、薄紫色の花はまわりを明るくします。

何という名前の花かは知りませんが、見ていて何故かほっとします。

カーネーションのように花らしくはありませんが、花瓶に入れるまでもありませんが、

湖岸には似合っています。




いつもの散歩



いつもの散歩コースはすっかり草が伸びました。

人がよく歩くところだけ踏まれています。

泳いで、歩いて、ルーには自由で楽しい時間です。



得意の泳ぎ



5月に入っても、変に寒い日があります。

昨夜11時過ぎ、161号線にある温度計の表示が7℃でした。

寒く感じるはずです。

昼前には温度も上がりましたが、それでも、季節的には変です。

ルーは久々の琵琶湖に活発に泳いでいます。





家の中にいたヘビ



湖舟林にいました。

工作室兼ルーの休憩所兼物置にしている高基礎の部分は入り口のドアを開けっ放しにしています。

そのために、家の中に入り込んでいました。庭では、マムシもシマヘビもアオダイショウも見ています。

マムシは地元の人に言わせると、行動のテリトリーが他のヘビにくらべて狭いので見つけ次第処分した方がよいとのことです。何度も出くわすことになるらしいです。

物陰に入り込むと捕まえにくくなるので、かわいそうですが、今回は叩き殺しました。

最初に見た時は、暗いこともありマムシのように見えたので少しあわてました。

大きさは、大人の一歩手前のサイズと思います。

私はよくヘビに出会うので、ほとんどの日本のヘビはわかりますが、こんな柄のヘビは初めてです。

ヤマカカシはもっとオレンジかかっています。マムシの柄ではありません。

アオダイショウやシマヘビでもありません。結局、何かわかりませんでした。がヤマカカシが一番近いかなあ?と思っています。柄はハブに似ています。

ヤマカカシは毒ヘビです。ハブの10倍の毒と言われています。

見つけてよかったです。知らないで、物を取ろうとして、ガブリとやられたらたいへんです。びっくりしてどうしてよいのか、きっと慌てることでしょうね。





旧河澄家



東大阪市の日下町にある「旧河澄家」です。

日下の字をなぜ「くさか」と読むのかはよくわかっていないみたいです。

この地区に孔舎衙小学校と書いて、「くさかしょうがっこう」と読む学校があります。難しいので、後に町名を簡単な「日下」にしたのかと自分流に解釈していましたが、古事記の序文にすでに「日下」と明記されていると知りました。日下も古い町名のようです。

東大阪市指定文化財になっています。見学は無料です。

近鉄奈良線の石切駅北口より約1.3kmです。

生駒山の麓で道は細く、坂道です。


なぜ、ここを見に行ったのかは、以前見に行った旧白洲邸の「武相荘」と比べてみるとおもしろいかなと思ったからです。

「武相荘」は東京都町田市能ヶ谷町にあります。小田急の小田原線、鶴川駅から徒歩15分のところです。会社を休んで、一人で往復しました。

この時は、白洲次郎と正子氏がどんなところで暮らしていたのか、また我が湖舟林の参考になることはないか、情報を集めに行きました。

「武相荘」は後ほどアップしようと考えています。





母屋部分



増改築はされていますが、江戸時代初期の姿。




奥座敷の棲鶴楼



西側にある数奇屋風書院造りの建物です。

4間×5間の大きさがあり、主室は8畳間です.

庭に面している主賓室です。近郷文人が集まる文芸サロンになっていたようです。
上田秋成も来ていたそうです。

江戸後期の国学者・歌人の上田秋成は『雨月物語』で有名です。65歳の時、4ヶ月間日下で過ごしています。この時、河澄家の河澄常之と交流しています。ここに集まっていたようです。

棲鶴楼の前庭は、江戸時代初期のものです。枯れ池式枯山水で、かやの木とイチョウが植えられています。





土間部分



大きなカマドです。

さすがに庄屋さんのおうちです。天井も高く、広々しています。

この土間のなかに家が一軒建てられるほどです。

カマドは7個あります。何人分の食事を作ったのでしょう。




旧河澄家の間取り



日下村の庄屋を務めた旧家の間取りです。

土間と蔵が特に大きく取られています。

庭に面しているのが、棲鶴楼です。中央に4つの部屋があります。その隣が土間です。




かやの木



昭和51年に「日下のかや」として市の天然記念物に指定されています。

奥座敷「棲鶴楼」の前庭にあります。幹まわり5m、樹齢約500年の巨木です。

冷涼な気候を好む「かや」はここらでは珍しいそうです。種子は昔から十二指腸虫の駆除に効果があるので大切にされて来たようです。

この木は雌株で50mほど離れたところに雄株があります。この庭にはイチョウの大きな木もありました。このイチョウも雄雌対で植えられていることから、旧河澄家の庭はかつては両かや・イチョウを含むかなりの広さであったと推定されるとのことです。




白寿の祝い



白寿とは、数え年で99歳のことです。

百という字の上の一をとると、白という字になることから来ています。

私の母は、今年3月3日の誕生日でなんと!満99歳になりました。

数えで99歳なら、もうすでに過ぎていることになります。

でも、白寿のお祝いをしようということになりました。
集まるところが大阪城のそばなので、久々にまわりを歩いてみました。

「城中焼亡埋骨墳」というレアなものを見つけました。






やっぱりでかいで!大阪城



ここまで来て、やっと天守閣が見えました。

ここから天守閣まで、結構あります。

私は卒業した中学がこの近くなので、通学路の一部でした。
いろんなコースを歩いていました。






さすが大阪城



こうして見ると、やはり堂々たるものです。

歴史的な人物がここを登って行ったのですね。






教育塔



これも大阪城公園のなかにあります。

説明看板には、次のように書かれていました。

この塔は、1934年第一次室戸台風によって多くの犠牲者を出したことを機に、大阪の教育界が提唱し、当時の帝国教育会によって、1936年10月30日に建立されました。





下のレリーフ



塔の高さは、30mあります。

1995年の第60回教育祭にあたって、補修工事がなされています。

阪神・淡路大震災の犠牲者の教職員・子ども・保護者も特別合葬されています。

芳名室には合葬された人の名板がおさめられています。






追手門学院大手前



堀のすぐ横に、追手門学院があります。

この学院の歴史は古いです。もともと小学校がベースです。

私の親はよく「かいこうしゃ」と言っていました。

どんな字を書くのか知りませんでしたが、「かいこうしゃ」と言っていたので調べてみました。

その母体は、大阪偕行社附属小学校でした。1888年(明治21年)に設立されています。

旧日本陸軍将校により作られた、財団偕行社の附属として主に軍部将校子弟の教育を目的とした男子校でした。軍人さんの子の学校や!と聞いていました。戦後は共学校として再スタートしたとのことです。

この大阪偕行社附属小学校は、薩摩藩士で大日本帝国陸軍中将であった、高島鞆之助(とものすけ)が作っています。やはり軍人が軍人のために作った学校でした。

もともと日本の帝国陸軍は大阪城を中心に大阪で作られています。ここ大阪城が陸軍の拠点でした。ここを中心に、全国に師団を展開していったみたいです。

東洋一と言われた砲兵工廠が大阪城の東にありました。私の小学校の頃の遊び場でした。

陸軍で第一に出てくる名前は、大村益次郎でしょう。だから、ここに軍人のための学校があるのは自然なことです。人を組織して軍隊を作り、工場を動かして兵器を作り、軍幹部の後継者を育成する学校を作る、これらの一貫した場をここ大阪城にしていました。

おもしろいことに、高島中将が住んでいた当時の自宅は上智大学四谷キャンパスのクルトゥルハイム聖堂として現存しているらしいです。

さて、そんなことで追手門学院は小学校が出来てから、50年ほどしてからの1940年に大阪偕行社附属中学校が創立しています。今は、大学までありますが、世によくある○○○○大学附属小学校ではありません。創立の趣旨と伝統から言うならば、追手門学院小学校附属大学・附属高校・附属中学ということになります。







城中焼亡埋骨墳(じょうちゅうしょうぼうまいこつふん)



知り尽くしているはずの大阪城公園のなかにこんな碑がありました。

この碑がどこにあるかわかる人は少ないと思います。






プロフィール

バスケン・ルーちゃん

Author:バスケン・ルーちゃん
生誕;6月 ねずみ年:男
釣りの拠点;アミレンタルボート
居所;東大阪市 Prefabricated TOYOTA Home
ログハウス;マキノ町 by Post&Beam
愛犬;Nonnon Banny Lulu (Golden Retriever)
ボート;Skeeter xz202DC / engine:suzuki4stroke
対象漁;Large Mouth Bass
フィールド;琵琶湖

Bass Fishing
専用ホームページ;
http://www.osaka.zaq.jp/lulu/  
 

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